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イチから味噌を手作りした唯一無二の味噌ラーメン 灼味噌らーめん 八堂八(東京・中目黒)(前編)【麺歴20年のテレビマンが紡ぐ!偏りまくったラーメン「物語」】第6回(アスキー)

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イチから味噌を手作りした唯一無二の味噌ラーメン 灼味噌らーめん 八堂八(東京・中目黒)(前編)【麺歴20年のテレビマンが紡ぐ!偏りまくったラーメン「物語」】第6回
[元記事]
ドラマ化したくなるような、自家製味噌を巡る一大スペクタクルを、まさかの前後編の2回に渡ってお届けします! 「八堂八・味噌物語」開演でございます――【もっと写真を見る】

 私がラーメンを食べる上で「味」よりも大切にしているのが「物語」。「物語」は何にも勝る最高の調味料。お店がこれまで紡いできた「物語」と、私が勝手にお店と紡いでいる偏りまくった「物語」を紹介していきます。
 
 さて、今回はのっけから告知で申し訳ありません!
 
 私が制作しているドラマ「ラーメン大好き小泉さん 二代目!」が、いよいよ3月27日(金)よる11時よりフジテレビ系全国ネットで放送になります! 私の異常なまでのラーメン愛を、桜田ひよりさんが演じるラーメン大好き女子高生「小泉さん」によって表現する、前代未聞のラーメンドラマでございます。どうか皆様、是非ご覧頂けますと幸甚です!!
 
 このドラマ「小泉さん」は、実在のラーメン店に協力して頂いて撮影しているのですが、今回の「灼味噌(やきみそ)らーめん 八堂八(やどや)」さんも今回の「小泉さん」に登場します。そんなことにこじつけながらちゃっかり告知させて頂きました(笑)。
 
 さて改めまして、「八堂八」は2019年2月に中目黒の住宅街にオープン。
 
 開店してからわずか1年ばかりの新店です。売りはナント、お店でイチから手作りしている自家製味噌で作る味噌ラーメン。
 
 こちらが絶品で、瞬く間にラーメン好きの間で話題に。私もご多分に漏れず早速食べに行ったのですが、「なんだこれ、これまで食べたことない旨さだ!」と衝撃を受けました。味の差が出しにくい味噌ラーメンにおいて、ここまで強烈に個性と旨さを感じたことはない、そんな素晴らしい一杯です。
 
 ただ、この「八堂八」というお店、考えれば考える程、気になる謎が多いのです。お店はパッと見50歳くらいのご夫婦で回している様子。新店とはいえ、あきらかにベテランの風格漂っているこのご夫婦はどんな人生を歩んでこのお店にたどり着いたのか? なぜ自家製で味噌を作ろうと思ったのか? てか、そもそも手作り味噌ってどういうことなんだろう? なぜ中目黒の、しかも駅から遠い住宅街にお店を構えたのか? 私は、謎多きご夫婦の「物語」が気になって仕方ありませんでした。
 
 そんな思いを密かに心に持ちながら、今回のドラマ「小泉さん」の脚本作りが始まりました。このドラマの作り方は、まず私が最近のラーメン業界で話題になっていることや、私自身が抱えているラーメンへの想いを脚本家や監督に相談して、それをストーリーに落とし込んでいきます。そして、そのストーリーにふさわしいお店を考えて、打診します。
 
 それで今回、ストーリーの中で「路地裏のラーメン店」を扱うシーンが出てきたので、私は迷わずそのお店として「八堂八」にお願いすることにしました。「八堂八」は味に衝撃を受けたのはもちろんのこと、撮影の打ち合わせをする中で、このご夫婦の「物語」についてもお話が聞けるのではないかという下心(?)があったのは言うまでもありません。
 
 ところが、ご夫婦がこれまで紡いできた「物語」は、私の浅はかな妄想などをはるかに超越した、とてつもないものだったのです。私が先述したような「八堂八」への疑問は、お二人の波乱万丈な人生を紐解いていくことで見事に解かれていきます。
 
 ドラマ化したくなるような、自家製味噌を巡る一大スペクタクルを、まさかの前後編の2回に渡ってお届けします! 「八堂八・味噌物語」開演でございます――
 
 店主の名前は、堂八(どうや)滋喜さん。
 
 そう、「八堂八」の名前は店主の苗字から来ているものです。出身は北海道の増毛町(ましけちょう)。高校卒業後、札幌に出て中央市場でマグロの仲買いの仕事に就きました。この頃からラーメンが好きで、札幌の有名店を食べ歩いていたと言います。
 
 ところが、23歳の時に父親が病床に倒れてしまい、地元・増毛町に帰ることに。漁業が盛んな港町ということで、滋喜さんは甘エビ漁の漁師となります。現在の滋喜さんはナイスミドルながらちょいワルな感じが漂ってますが、バックボーンが漁師だと聞くとそれも納得でございます(笑)。
 
 ちなみに当時、増毛町には「一福屋(いっぷくや)」という味噌ラーメンのお店があったそうです。優しくて温かい一杯。これこそ滋喜さんが人生で一番影響を受けた味であり、「八堂八」が目指す味なのです。
 
 こうして約12年間、甘エビ漁に従事しますが、徐々に甘エビの値段が下がってきてしまったこともあり、35歳で漁師を廃業。隣りの留萌市で飲食店を始めます。そして37歳の時、前妻との離婚をきっかけに「このまま北海道だけで終わるのではつまらない」と、上京を決意。
 
 上京後、運送業などを経て、2011年に後輩が経営する都内のラーメン店を手伝うことになります。滋喜さん43歳、遅咲きのラーメン職人人生のスタートでした。お店は都心の人気店で、看板メニューは中華鍋で仕上げる、いわゆる札幌スタイルの味噌ラーメン。これまで北海道や東京でラーメンを食べ歩いていた滋喜さんは、その経験も生かしながらすぐにお店の中心的存在となり、実質的な管理者となります。
 
 そしてちょうどこの時期、滋喜さんの人生が大きく変わる運命の出会いが訪れます。そう、現在の奥様であるトモミさんとの出会いです。
 
 トモミさんは滋喜さんの2歳下で、同じ増毛町の出身。当時二人はお互いに面識はあったものの、特に交わることはなく、トモミさんは20歳で上京。今のトモミさんからは想像もつきませんが、銀座のクラブでホステスとして働いていたそうです。前夫の間に3人の子供をもうけるも離婚。その後は保険関係の仕事に就き、女手一つで子育てに励んできました。
 
 実に25年ぶりの再会。きっかけは滋喜さんが地元の知り合いから「トモミさんも上京してずっと東京で生活している」と聞いて、何気なく連絡を取ったこと。トモミさんは突然の連絡に驚き、初めは「壺でも売りつけられるじゃないか」と警戒したそうですが(笑)、お互い独り身で同郷から出てきて東京で奮闘しているという境遇から意気投合します。
 
 まだ籍は入れてないものの、トモミさんという力強いパートナーを得た滋喜さん。深夜まで客足の絶えないお店を回しながら、さらに催事などで1日に1000杯、1500杯ものラーメンを売る、という生活を続けていました。「このまま働いていれば特に生活が困ることはない」。そう思いながらも、この生活に虚しさを感じ始めます。
 
 「もっと小規模でいいから、お客さんの顔をちゃんと見ながらラーメンを作りたい」
 
 この思いはやがて「自分のお店を持ちたい」という気持ちに変わります。そして、そこにトモミさんの「一度きりの人生なんだから、大きな花を咲かせなさい!」という後押しも加わり、滋喜さんはついに独立を決意。
 
 勝負するのはもちろん味噌ラーメン。目指すは、2人の思い出の味である増毛町の「一福屋」のような優しくて温かい一杯。ただ、これだけたくさんのラーメン店が乱立する東京で、何かインパクトのあることをやらないと。悩んだ末に2人は、ある結論に達します。
 
 「自家製麺はあるけれど、自家製味噌のラーメン店ってのは見たことも聞いたこともないよな」
 
 ずっと「食べたことのない味噌ラーメンを作りたい」と思っていた2人にとって、これほどまでに明快な答えはありませんでした。
 
 しかし、まさに言うは易し行うは難し。味噌作りに関して何の知識も持っていない二人は、まさに手探りのスタートでした。まずは昔祖母が手作りしていた味噌の記憶をたどることから始めて、その後色々な資料を漁って勉強しては、それを実践してみる。しかし、何しろ素人の手作りですから失敗の連続。塩分濃度や糀の塩梅はもちろんのこと、温度や湿度によって発酵の具合が大きく変わってしまうので、その季節を逃すと、その時期の発酵についてはまた来年まで試せない、なんてこともありました。これを夜な夜な、勤めていたラーメン店から帰ってきてから、配合を変えた味噌を小さなタッパーに大量に作っては、試し続けました。
 
 今の「八堂八」の旨さを考えると、信じられないような話ですが、逆に言うと素人の手探りでもあそこまで美味しい味噌にたどり着くことができるのです。まさに2人の執念の結果と言えるでしょう。
 
 初めは「自家製味噌」という話題性が最大のメリットだと思っていた2人でしたが、実際に味噌を作り始めて、自家製味噌にはもっと根本的に大きなメリットがあることに気づきました。
 
 味噌の味の決め手は何と言っても糀の量。簡単に言ってしまえば、糀が多ければ多いほど味がまろやかになり、美味しくなります。しかし、味噌の原料で一番高いのが糀。当然糀が多ければ多いほどコストは上がります。自家製ならば、もちろんそれなりに糀のコストはかかりますが、業者に発注するよりは当然安く作れます。つまり、自家製にすることで、他のラーメン店では出せない味の味噌を、安価で製作できるというという圧倒的なメリットを得ることができるのです。
 
 こうして徐々に出来上がってきた自家製味噌を使って、いよいよラーメンを作り始めますが、またもや壁にぶつかります。通常、味噌に日本酒や調味料などを加えて味噌ダレを作り、それを元にラーメンを作っていくのですが、何度試作を重ねてもなかなか思うような味が出ません。この頃には、滋喜さんとトモミさんのやり方に共感して、一緒にお店をやりたいという2人のスタッフも加わっていて、彼らと共に何ヶ月にも渡って試行錯誤が続けられました。
 
 また、それと並行して、開業のためには物件探しもしないといけません。何しろ普通のラーメン店に加えて、味噌を作る味噌部屋となるスペースも確保しないといけないので、それに見合う物件などなかなかありませんでした。2人はバラバラで都内のあらゆる物件をしらみ潰しに回り、実に100軒以上の物件を見ました。
 
 滋喜さんには勤めているラーメン店の営業があって、トモミさんには保険関係の仕事があって、その合間を縫ってのラーメンの味作りと、物件探し。まさに眠れない日々が続きました。この頃は2人の喧嘩も絶えなかったと言います。こうして出口が見えないまま、怒涛のように2017年が過ぎていきました。
 
 そんな中、ついに現在の中目黒の物件にたどり着きました。半地下と地上2階の3階建て。半地下を味噌部屋として、地上2階で営業。物件の形としてはベストでした。問題は立地。駅から徒歩10分で、完全なる路地裏の住宅街。「隠れ家にも程があるだろう」と最初は断ったそうです。しかし、改めて「ここに客を呼べるようになればいいだけのこと」と思い直し、この物件にしようと決意しました。その裏には、徐々に手作り味噌のクオリティが上がってきて、「この味噌ならイケる!」という気持ちも芽生えてきていたことも大きかったと言います。
 
 味作りも試作に試作を重ねた結果、「あえて味噌ダレは作らず、味噌をそのまま使って中華鍋で灼き上げる」という結論に達します。この方法が一番味噌本来の味を引き出せると。結果だけを見ると至極シンプルですが、ここにたどり着くまで気の遠くなるような時間がかかりました。ただ、回り道をしてあらゆることを試した分、この決断には確固たる手応えがありました。
 
 終わりの見えなかった戦いにようやく一筋の道が見えた頃、2人にとってさらに嬉し

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