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[元記事]
「ああ、いつでも撮りに来ていいよ。」まだ駆け出しだったころ八幡山の明大グラウンドに赴き少々緊張気味で来意を告げたとき当時89歳の監督から淡々とした口調で返事が返って来た。
この時以来シーズンが深まるまで撮影機材をかかえて八幡山に足しげく通うようになった。
晩秋の日差しの中、グラウンドでステッキを手に煙草をくゆらせてたたずむ姿はなんとも絵になり、眼鏡の奥の穏やかな、だが凛としたまなざしの向こうにはいつもボールを追いかける部員の姿があった。
練習後合宿所の隣にある監督の自宅で教え子たちとくつろぐグラウンドとは違う表情も思いがけずカメラに収めることも出来、スクラム練習では自ら肩を貸してフロントローの選手に組み方を教える姿からはいまだ衰えぬラグビーへの情熱が伝わってきた。
60年余の長きにわたってあまたのラグビーマンを育ててきた北島忠治監督が他界されてから四半世紀になろうとしている。
当時グラウンドで顔を合わせていたOBの方と話をするとき監督の話題になると誰もが生き生きと自分のオヤジのことのように思い出を語り始める。
八幡山にはもう一人の親父がいた。
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