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ラリー・シモンとオリヴァー・ハーディによる幻の無声喜劇映画、東京で発見される(映画ナタリー)

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ラリー・シモンとオリヴァー・ハーディによる幻の無声喜劇映画、東京で発見される
[元記事]
フィルムが現存しないとされていた無声喜劇映画「STOP, LOOK AND LISTEN」の16mmフィルムが2月に東京で発見され、その映像がYouTubeで公開された。【動画】「STOP, LOOK AND LISTEN」前半(メディアギャラリー他18件)1926年1月にアメリカで公開され、日本では1927年1月に「弗箱(どるばこ)シーモン」という邦題で公開された本作。今回、歴史研究家・映像収集家の笹山俊彦によって見つけられた部分は、全編60分のうち最後の10分ほどだ。
「STOP, LOOK AND LISTEN」の監督と主演を務めたのは「笑国万歳」などで知られ、1920年代のアメリカで映画監督、俳優、脚本家、演出家として活動したラリー・シモン。またコメディアン、俳優、映画監督であったオリヴァー・ハーディもキャストに名を連ねている。彼がスタン・ローレルと組んだコンビ「ローレル&ハーディ」は、サイレント時代から100本以上の映画に出演した。
本作は英ロンドンで4月に開催される、無声喜劇映画をフィーチャーした国際映画祭で上映される予定。また日本では、2021年1月に行われる「神戸クラシックコメディ映画祭」でスクリーンにかけられる予定だ。本作の調査に携わったクラシック喜劇研究家のいいをじゅんこ、無声喜劇映画の研究家であるスティーヴ・マッサのコメントは以下の通り。
■ いいをじゅんこ コメント
無声映画時代のコメディは、三大喜劇王以外にも大勢のコメディアンが活躍していた。中にはロイドやキートンをしのぐほどの人気を誇りながら今ではその功績が忘れられてしまった者もいる。いわば「知られざる喜劇王」たちだ。実は彼らこそ無声喜劇の豊かな歴史を探る上で興味の尽きない存在である。
ラリー・シモンはまさにその1人だ。チャップリンと同時期の1910年代半ばに映画界入りし、短編喜劇の主演と監督をつとめ始める。20年代初めには人気、興行収入共にトップクラスに。列車、バイク、飛行機などを駆使したスピード感あふれるドタバタや、高い塔のてっぺんから真っ逆さまにダイブするなどの決死のアクションで観客を熱狂させた。父親は奇術師、自身は漫画家出身という異色の経歴の持ち主で、そのためか彼の喜劇にはアニメ的で空想的な作風が感じられる。
20年代後半には長編作品に移行するが、いずれも興行的に失敗し人気に陰りが見え始める。例えば「笑国万歳」(1925)は「オズの魔法使い」を大胆に脚色したファンタジーで、ラリー自身が年老いた語り部を演じており、顔を白塗りにしたそれまでの道化キャラからの脱却を図っている。しかし原作の忠実な映画化を望んだ当時の観客には不評だった。またアクションに関しても、バスター・キートンのように実際に体を張って演じるのとは違いスタントマンを多用していたり、同じパターンのアクションを使い回しするなどマンネリ化したため徐々に観客から飽きられていった、というのが通説だ。
だが、同時代の観客や批評家の評価が現代にも通用するとは限らない。先入観を捨てて作品にあたることこそ現代の観客や映画史家にとってもっとも重要であり、そこからコメディアンの再評価は始まる。無声映画は7~9割のフィルムが失われているが、ラリー・シモン主演の長編作品も現在全編あるいは部分を観ることができるものはきわめて限られており、ほとんどの作品はフィルムが存在しない。したがって、部分のみとはいえ今回日本で「弗箱シーモン」の最終巻がほぼ完全な形で見つかったことは、ラリー・シモンの知られざる長編作品の一端を明らかにする上できわめて重要な意義がある。無声映画史に残る大変に貴重な発見だ。
発見されたフィルムを実際に観ると、格闘シーンにシルエットを使うなどラリー・シモンらしい野心的な演出が垣間見える。ラリー・シモンは黒人キャストを準主役級で起用した当時としては珍しいコメディアンだったが、本作のクライマックスでもカーティス・マクヘンリーという黒人の名脇役が大活躍している。
さらに「弗箱シーモン」の発見は、ローレル&ハーディのオリヴァー・ハーディが出演していることでも研究者たちの注目を集めるだろう。当時ハーディはラリー・シモン喜劇の常連で、主に悪役を専門に演じるいわゆる「ヘヴィ」だった。「弗箱シーモン」はハーディがスタン・ローレルとコンビを組む直前の作品で、ラリー・シモンとの最後の共演作である。さらにハーディがアシスタント・ディレクターにクレジットされた唯一の作品でもある。このように「弗箱シーモン」の発見はローレル&ハーディ研究の空隙を埋める非常に重要な意義をも持つだろう。
日本では文学者の稲垣足穂がラリー・シモンの熱烈なファンだったことで知られている。その意味でラリー・シモンは日本ともゆかりの深いコメディアンである。1928年(昭和3年)に39才の若さでラリーが急逝した時には足穂は深い悲しみに満ちた追悼文を書いているが、欧米ではこの死が破産から逃れるためのラリーの狂言だったのではないか、というまことしやかな噂も根強く、その晩年はいまだ謎に包まれている。「弗箱シーモン」のフィルム発見がその謎の一端を解く手がかりになることを願ってやまない。
ベビー・ペギー、チャーリー・チェイス、「しあわせうさぎのオズワルド」など、海外の無声喜劇フィルムが日本で発掘されるニュースがここ数年続いている。家庭鑑賞用に販売されたフィルムや玩具映画フィルムにはロスト・フィルムがまだまだ眠っているはずだ。古いフィルムは捨てず、ぜひお近くの博物館やフィルムアーカイブなどに託してほしい。
■ スティーヴ・マッサ コメント
「無声映画の道化師」と辞書で引いてみれば、ラリー・シーモンの写真を見ることになるだろう。スラップスティック版ノスフェラトゥのような白塗りメイクの馬顔、ぜんまい仕掛けの動き、どた靴、山高帽、そして胸まであるぶかぶかのズボン。これら全てが融合し、目まぐるしい混沌に巻き込まれる陽気なのろまのキャラクターを形作った。監督である彼にとって、彼の作品の筋書きはギャグを行うための口実にすぎず、お気に入りの爆破、追走、衝突、そして高所からの転落は、彼の名作に登場し、狂ったシュールな世界を生み出した。
子供の頃から舞台に立ち、青年期は新聞社の漫画家をしていたシーモンは、1914年に監督兼脚本家として初めて映画を世に出した。程なくして出演もするようになり、1920年代前半には「The Bell Hop」(1921)や「The Sawmill」(1922)などの短編のおかげで、彼はサイレント喜劇王の1人となった。そしてチャーリー・チャップリンやバスター・キートン、ハロルド・ロイドが長編映画に移行すると、シーモンもまた、長編を作ることを決めた。
ラリー・シモンが亡くなる前の1924年から1927年にかけ、彼は5つのコメディー映画で主演を務めた。同映画は4番目、最後から2番目の作品である。同映画は、長い間フィルムが見つからずロストフィルム(失われていた映画)だと考えられていたが、今回発見されたフィルムの最後の部分を手掛かりに、派手なクライマックスシーンが特徴的である1922年の短編映画「The Show」の、最後の列車シーンを見事に再現している「STOP, LOOK AND LISTEN」であると断定する事が出来た。自動車やバイク、列車、時には飛行機を用いた追走劇は彼のお家芸の1つだが、このシーンは特に巧妙に練って撮影されている。また、修復された映像は、アメリカの名俳優オリヴァー・ハーディの現存する作品一覧にも加えられる。彼はシーモンと共に多くの映画に出演しており、助監督も務めた同作品は最後の共演だった。
残念なことに、シーモンの長編はどれも興行的に振るわず、1927年には彼は破産しており、観客を呼び戻そうと必死だった。彼の最後の映画は1928年の短編「A Simple Sap」で、同年肺炎と神経衰弱により40歳を待たず死去した。

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